映画「スペル」を観て感想文。

スペル [Blu-ray]

サム・ライミスパイダーマン3部作の後、2009年監督したホラー映画「スペル」

原題は "Drag Me To Hell" で、「私を地獄へ引きずりこめ」 になるわけだが、「連れてって」の方が日本人に馴染みがありそうだ。まあ、そんなタイトルだと集客が見込めないと考えたのか、シンプルに「スペル」になっている。呪文やまじないのことだ。

 

銀行の融資担当のクリスティンはガーナッシュという老婆のローン支払い延期を断ったために呪いをかけられ、次々に起こる怪奇現象に苦しめられる。老婆の呪いから解放される為にクリスティンが奮闘するというお話。

 

ブロンドで可愛らしいクリスティンと対象的な醜い老婆の姿が描かれ、なんとなくクリスティン=善、老婆=悪と割りきって、可哀想なクリスティンを全面的に応援してしまいそうになるのだが、この映画は少し違う。クリスティンは完全なる善として描かれない。

 

クリスティンは農場で豚を育てて品評会に出すような幼少時代(肥満児だった)を送っていたが、父親が先立ったことで残された母親がアルコール依存症になったことで、客観的に自分の人生を見つめ直すことになり、故郷を捨て、銀行に勤めてひたすら出世を目指す。裕福な家に生まれた精神科医の素敵な恋人もいて「今度家族に紹介する」なんて言ってくれていて順風満帆な人生だ。惨めな昔には戻りたくない。

健気に生きるクリスティン。ここまでは肯定的に見ることができる。

だが、襲いかかってきた老婆を車の外に閉め出し、高らかに笑いながら「あんたの負けよ」とクリスティンが叫ぶ姿を見て、この娘 "何かが違う" と感じる。

(…ここで、老婆がブロックを持ち上げて窓を割るシーンは「ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド」を思わせる。)

 

老婆は確かに醜い。目を背けたくなる外見やしぐさ。だが、本人が話すように、これまで彼女は誇り高く生きてきたのだ。亡くなった時に別れを惜しんだ多くの人々が集まっていることからもそれがよく分かる。それでも人を頼れず、どうしようもなくこんな若い娘に土下座までして支払いを待って欲しいと頼んだのに断られた挙句、セキュリティを呼ばれて店から追い出される。そんなわけで逆上して呪いをかけてしまうのだが、こうして見ると、見かけどおりの魔女だから呪いをかけてくるのではなく、たまたまこういう姿をしている人が「呪いのかけ方を知っていた」からということなのだろう。

 

一方、クリスティンは違う。一見綺麗に着飾っているが、ステータス維持の為に付き合っている恋人以外の交友関係は一切描かれず、やけに広い家に寂しさを紛らわせるためなのか子猫と住んでいる。

が、その子猫も呪いを解くための生け贄としてクリスティンはあっさりと殺してしまう。霊媒師に最初に生け贄の話を聞いた時は「ベジタリアンだし、捨て犬の施設でボランティアもしてるし、動物殺すなんて無理」とか話していたくせにである。元々豚を育てて品評会に出していたような子がどの口でという感じだ。 

 

呪いによる怪奇現象が酷くなり、大金を出して依頼した(大金を出したのは彼)別の霊媒者の尽力も効果ナシと知ると、別の人間に呪いを移して自分は助かろうと必死になる。だが、良心がとがめるのか、生きている人を犠牲にしたくはないという思いがクリスティンの中で強くなる。ここがこの映画で興味深いところで、彼女は完全なる善ではないが、かといって完全なる悪でもない。人間誰もが完全な善でも無ければ悪でもなく、やむにやまれぬ事情により、まるでそうなのかのように振る舞ってしまうことがある、そういうことなのだ。

 

最後にもう一つ興味深いのがクリスティンのコート。呪いをかけられた時は土気色のものだが、最後のシーンでは気分晴れやかに澄み切った空のような色のコートを買って彼のもとに向かう。ハッピーエンドになるのかどうか、それを言ってはネタバレだが、高橋ヨシキ氏は「原題そのものがネタバレだ」と… そういうことである。